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一ツ瀬川
22107021_512[1]

八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役 野口 誠一

倒産経験を生かし、社会貢献に尽力されている野口社長自身の言葉です。


第297回:ぬいぐるみの対米輸出で急成長

 今回から私自身のことを書く。私は昭和5年生まれだから、
当年とって79歳になる。わが人生ながら、その長きには驚きを禁じ得ない。

当然ながら山あり谷ありであった。いや、それ以上であったかもしれない。
明治維新をくぐり抜けた福沢諭吉は、江戸と明治の両時代を生きたことを、

「一生にして二世を経るが如し」と言ったが、私もその感が深い。
一世は経営者としての足かけ22年間、もう一世は八起会会長としての

足かけ31年間である。まずは経営者としての「一世」を振り返ってみたい。

 私が玩具の製造会社を立ち上げたのは昭和31年、25歳のときである。
玩具といってもイヌ、ネコ、クマなどの単純な縫いぐるみの類で、

とくに技術を要するものではなかった。私はそれを、大学を出て2年間
ほど、義兄の会社を手伝いながらマスターし、独立したのである。

スタートは私と家内と2人の従業員の計4人、月々の売り上げはせいぜい
150万円程度にすぎなかった。

 それが5年後、年商1億円にハネ上がった。
この大化けはアメリカのおかげである。輸出が絶好調で、

製造する片っ端からアメリカが丸呑みにしてくれたのである。
アメリカ人は手先が不器用なのか、4〜5インチぐらいの小さい

縫いぐるみとなるとまるでお手上げ。そこに目をつけた私は、
国内市場には目もくれず、対米輸出一本やりで押しまくった。

 そしてさらに5年後、日本は東京オリンピックへ向けて高度成長
のまっただなか。私の年商も倍々で伸び、創業わずか10年にして

年商12億円を達成した。つれて工場も千葉、茨城、埼玉へと展開し、
下請けの数7社、従業員百余名の規模にまで業容を拡大した。このとき、

私はまだ30代半ばの若造にすぎなかったが、
いっぱしの「経営者」気取りだった。



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